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渡邊 亜紀子

資格 JMTA Swedish Massage Fundamental Course 修了
FTAA Trigger Point Therapy Workshop (Remedial Massage)
JPTA PNF Technique Advance トレーナー
ABCセラピー ABC Therapist Training Program
手島 渚氏主催WHOLE TREATプロ養成コース
AEAJ アロマテラピーアドバイザー
ITSA アロマスウェディッシュセラピスト
専門家プロファイル登録スポーツトレーナー
居住地 神奈川県横浜市西区
(三軒茶屋→学芸大と東急沿線をへて横浜住み)
出身地 宮城県仙台市
誕生日 12月生まれ
血液型 O型
趣味 犬の散步・映像鑑賞(アニメとドキュメンタリー)・解剖図鑑賞
性格 大雑把な凝り性

Lycka till創設までの経緯

  1. 大学卒業後、 映像編集会社に就職。

    念願の音楽PVの編集に携わる。
    当時は女性はほとんどおらず、3日連続で徹夜など過酷な環境であったにも関わらず 、先輩の愛ある厳しい指導の元、充実した日々を過ごす。
    結婚と健康上の理由で転職。

  2. 資格を取得し、 リクルート系列会社で就職情報誌の校正の職に就く。

    周りに恵まれ、責任ある充実した日々を送る。
    データ媒体の入稿の増加で仕事の流れが変わってくると共に、人と接する仕事したいと思いはじめる。
    当時は知らない人と話すことが苦手で、自分を変えたいと思っていた。

  3. 誘われるまま保険会社に入社。

    3日も続かないと思われたが、周囲のサポートと本人の強烈な思い込みもあり営業が楽しくて仕方なくなる。
    毎日遅くまで仕事に没頭した結果、5期連続で支社入賞し表彰される。
    支社の代表となり、400名の前でスピーチする機会に恵まれる。
    営業主任になり、指導する立場となる。
    たて続けに身体を壊したのをきっかけに退社。

  4. 大手通信会社の支社で、 女性初の営業の契約社員となる。

    3日も続かないと思われたが、周囲のサポートと本人の強烈な思い込みもあり営業が楽しくて仕方なくなる。
    毎日遅くまで仕事に没頭した結果、5期連続で支社入賞し表彰される。
    支社の代表となり、400名の前でスピーチする機会に恵まれる。
    営業主任になり、指導する立場となり、たて続けに身体を壊したのをきっかけに退社。

  5. 縁あって、 テレビ制作会社とフリーランス契約となる。

    スポーツドキュメンタリー番組の制作に携わり、スケジュール管理やまとめ役として、また営業のできる制作として評価される。
    その後、新しいネットコンテンツの立ち上げに参加し、進行・管理を任される。
    リサーチが得意で周りからも評価されていたことから、リサーチャーへの道を模索途中にベーチェット病が発覚。
    リサーチャーへの道を断念。

  6. 個人で出来る仕事を探していたところ

    整体師の先生と出会い、この道を志すことを決意。


「仕事を頑張る人を応援する」サロンを目指す理由

私の一番の喜びは、色んなお客さまに出会えて、お客さまに「楽になった、ありがとう」と言われた時です。
「明日からまた仕事だけど、頑張れそう」と言われるのが、何より嬉しいのです。

時間で区切った繋がりではなく、困った時は24時間相談に対応したいと、
一歩踏み込んだ形で接することを目指しています。


  ではなぜ、私が仕事で頑張る人を応援するサロンを目指しているのか?
ご興味がありましたら一度お読みください。

どうして自分だけツラいんだろう

どうして自分だけツラいんだろう1

幼少期は小児喘息・アレルギーと虚弱体質でした。   立派な体格とは裏腹に、よく学校を休む子どもでした。 だんだん成長するにつれ、身体は丈夫になってきたものの、それでも学校は休みがちで 高校一年生で、高校三年間の大学推薦枠規定の欠席分を休んでしまいました。 具合の悪い自分を見せたくなくて、学校では無理してでも元気に過ごしました。 ずる休みとも誤解されたこともありましたが、むしろ「さぼり」と思われたほうがカッコイイと思っていました。

どうして自分だけツラいんだろう2

小さい頃から好奇心旺盛で自立したがりの変わった子どもでした。 「将来はアメリカで働きたい」と思っていて、とにかくまずは東京にでたくて 義務教育や高校が苦痛でした。 勉強は好きでしたが、課外活動が苦痛で、本気で「なぜ日本には飛び級制度がないんだろう」と思っていました。   就職を機に上京し、好きな仕事にも就き、すべては順風満帆でした。 しかし25歳を前に 毎年入院するという事態に襲われます。それは30歳過ぎまで続きました。  

どうして自分だけツラいんだろう3

謎の急性胃腸炎です。 救急車で運ばれたこともあります。 原因はわからず、医師も首を傾げました。 病気は対処療法がメインで、一定の期間を休養すると治りました。   30歳を過ぎ すでに急性胃腸炎になりそうなだと事前に察知できるようになり、入院することは減ってきました。   どうして自分だけこんなふうになるんだろう。 ずっとそう思っていました。 急性胃腸炎だけでなく、症状は軽いものの色んな病気に罹っていました。 病院を受診しなかった月はありません。

どうして自分だけツラいんだろう4

確かに過酷な仕事ではありましたが、職場の人々は元気でバリバリ仕事に励んでいます。 入院する度に、人より遅れをとってるのではないかと不安になりました。 人が普通に出来ることが何で自分には出来ないんだろうと、自分が情けなくなりました。   医師には「ストレスだね」と言われ、たまたま受診した心療内科から薬を処方されたこともありました。 自分のメンタルの弱さのせいで病気になっているのだろうかと、本気で思い悩んでいた時期もありました。   ところが 30代半ばに今度は違う病気に悩まされることになります。

自分が自分でなくなる病気に

自分が自分でなくなる病気に1

ある日、急激な頭痛に襲われました。   起きてても横になっても激しい痛みに襲われ、 頭の痛みが尋常ではなかったため、結局、救急車で搬送されました。 CTやMRI、血液検査の結果、髄液の採取となり、「無菌性髄膜炎」と診断されました。 無菌性髄膜炎は特効薬はなく、対処療法で治療しますが 数値が一定基準以下にならないと退院できません。 結局20日ほど入院しました。 原因は不明でした。

自分が自分でなくなる病気に2

無事に仕事場に復帰したものの 次の年にまた無菌性髄膜炎に罹りました。原因は不明です。 入院先の内科部長からは 「無菌性髄膜炎は急性のものしか考えられないが、あなたの場合は慢性に近いから気をつけてね」と言われました。   私はまた20日ほど入院し無事退院したのですが 同じ病気の女性と同室だったのですが、その女性は日に日に症状が悪化し、凶暴化していき同室のお年寄りに暴言を吐くようになりました。ついには自分の殻に籠ってしまいブツブツと呟くだけで一度もカーテンを開けなくなりました。 原因は分かりません。   たまたま私はそうはならなかったのですが、非常に恐怖を感じました。

ツラい気持ちを吐き出せる場所

ツラい気持ちを吐き出せる場所1

どんなにツラくても、職場では努めて元気に振る舞いました。   自分が人より劣っていると認めたくなかったんだと思います。 もともと負けん気が強く、弱いところをみせたくありませんでした。   ツラいといえば家族が心配する。 わざわざ友人に連絡してまで愚痴を聞かせるのは申し訳ない。 でもひとりでは抱えきれない。 そんな気持ちを 壁に呟くつもりで、SNSのブログにぶつけていました。

ツラい気持ちを吐き出せる場所2

そうこうしていると奇特な人もいるもので 、ブログを訪問してくれて、会話してくれる友達が出来ました。 ずいぶん弱音を吐きました。 それでも励ましてくれる人もいました。時間関係なく応えてくれた人もいました。 その後、乳がんの疑いで手術した時も励まして貰いました。 感謝してもしきれないくらいです。今でも友人関係は続いている人もいます。   私の居場所は小さな携帯の中にありました。

いままでの病気の謎が解ける

いままでの病気の謎が解ける1

新しいネットコンテンツの立ち上げも最後の追い込みに入っていたころ 、ある日突然、右膝がソフトボールほどの大きさに腫れ上がりました。  その年の春に「ぶよ」に刺され腫れた経験があったので、皮膚科を受診しました。 医師はいろいろと問診した結果、ひとつの仮説を告げました。   ベーチェット病かもしれない。   正直驚きましたが、今はまだ仮説。 大学病院で精密検査をすることとなりました。   しかし 、そこでまさかの「様子をみましょう」。 明らかに検査拒否です。 皮膚科の医師が書いた検査依頼の書類は何故か握りつぶされてしまいました。 私も検査を求めたものの断られました。

いままでの病気の謎が解ける2

納得いかずに、厚生労働省に電話で何とかならないかと問い合わせてみました。 電話口の職員は明らかに上から目線で、一般常識とはかけ離れた「お役人常識」を淡々と答えます。 あまりに呆れて、ついには面白がって取材モードになってしまいました^^;   そこで知ったことは衝撃的なことでした。 実は今まで大事には至らなかったものの、いくつかの医療ミスと思われる事は経験していました。大事には至らなかったので、仕事に復帰出来た時には忘れていました。 不思議には思っていたんです。 何故ほとんどのケースが亡くなってからなのか?亡くなる前のケースがほとんどないのか? それは法律の問題であったのだなあと改めて思い知りました。 職員は「カルテの写しは請求する権利はありますから、貰っておいたらどうですか?」と言っていたので、とりあえず貰っておくことにしました。

いままでの病気の謎が解ける3

先の大学病院に戻り、カルテのコピーをもらうと 、そこには更に衝撃的な言葉がありました。 「精神疾患で通院中」 は?皮膚科の先生の書類見たよね? 慌てて担当者を呼んで抗議しましたが、今からカルテを変更するとカルテの改ざんになるそうでした。   改ざんもなにも、そもそも嘘の記載でしょうと猛抗議しましたが、受け入れてもらえませんでした。上から目線の職員ではありましたが、聞いたとおりにして良かったと心底思いました。 「これで他の病院でベーチェット病って診断だったら、そちらのミスだよね」と捨て台詞を残し、カルテには一切書かれていない皮膚科の先生の書類を返却してもらい、その大学病院をあとにしました。   悔しくて腹が立ちました。 でも、絶対結果を知るまで諦めないって思いました。

いままでの病気の謎が解ける4

次に 、いつも通院している内科の医師に相談して、別の大学病院の膠原病を受診しました。 ちゃんと理解してもらいたいし証拠も残したいと思い、今までの病歴を書類にして持参しました。それが逆に仇となって・・・   ミュンヒハウゼン症候群と言われました。   ミュンヒハウゼン症候群とは虚偽性障害に分類される精神疾患の一種。症例として周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自らの体を傷付けたりするといった行動が見られる。
Wikipediaより

  またか! とも思いましたが、粘り強く交渉し渋々検査してもらえることに。 医師の面倒くさそうな表情とムカつき気味の看護師の行動は未だに忘れられません(苦笑)。

いままでの病気の謎が解ける5

結果としてベーチェット病ではあったのですが、小康状態ではあるのでストレスなく無理のない生活をするよう言われました。 医師は自分の診断については、何事もなかったかのようにしていましたが 「こんな早い段階でベーチェット病と気付くのはまれですね。珍しいです。運が良かったですね」と言っていました。   医師の勧めもあり、ステロイドは処方されなかったものの 毎日の薬は手放せなくなりました。

整体師の先生との出会い

整体師の先生との出会い1

ベーチェット病と診断されたあと 、思いのほか、スッキリしている自分がいました。   今まで 、突然発症する原因不明の病気、なぜ他の人と同じことが出来ないのか 、数々の不安が一気に解消されたからです。 今までと同じようにバリバリ仕事は出来そうもないけど、気をつけて過ごせばなんとか生きられることに安心しました。   ベーチェット病に関して詳しく調べてみると 、以前の髄膜炎も神経ベーチェット病の可能性も考えられました。 それだけは今でもちょっと怖いなと思います。

【ベーチェット病についてはコチラ】
神経ベーチェット病(Wikipediaより)
ベーチェット病(帝京大学医学部内科学講座 リウマチ・膠原病研究室より)

整体師の先生との出会い2

「自分で何か仕事をしたい」その後生活のため細々と働きながら考えていました。 何をしたいのかが見つからず、また仕事が忙しくなってくると右膝が腫れてきました。 またか・・・と思いつつも、寝ているわけにもいかず 、かといって病院に行く気にもなれず、困っていました。   そんな時に 「そうだ、整体にでも行ってみるか」 と思いつきました。 それまで行った大手チェーンの整体やマッサージにいい思い出はなかったのですが、ネットで探した個人のマンションの一室のところに行ってみることにしました。 「自分の病気について、本当に理解してもらえるだろうか?」不安なまま行ってみることに。

整体師の先生との出会い3

不安は杞憂に終わりました。 そこは清潔感溢れるマンションの一室で、人懐っこいトイプードルちゃんと笑顔の先生が出迎えてくれました。 先生は男性の先生でしたが、とても丁寧で柔らかな物腰でした。 病気についてもきちんと聞いてくれました。 それだけで安心して施術を受けられました。   施術後すぐに右膝の腫れが治まることはなかったのですが (それはもともと仕方ないと思っていました) 何度か通ううちに、腫れにくくなっていることに気が付きました。 「なんかいいな・・・」 そう思ったら、動き始めていました。 整体やカイロプラクティクなど勉強してみましたが 、自分にはスウェディッシュマッサージが一番合っていると思いました。

仕事を頑張る人を応援したい

仕事を頑張る人を応援したい1

私自身が超仕事人間でした。   そもそも好きなことしかやってきていないので、「趣味が仕事」な人間でした。 ペースは違うものの、今でもそうかもしれません。   だからこそ 、仕事に頑張る人の気持ちはよく分かります。   肩こりや首こりに悩まされながらでも、脚が浮腫んでパンパンになっても、人間関係のストレスで眠れない夜があっても、でも仕事をやらなきゃなんです。 自分の身体はつい二の次なんですよね。

仕事を頑張る人を応援したい2

ある時お客さまから 「明日も仕事だけど、これで頑張れそう」という言葉を頂けた時に、何か自分が役に立てたようで、すごく嬉しかったのを覚えています。   自分はもう寝食忘れるくらいバリバリ仕事は出来ないけれど 、陰ながら縁の下の力持ちのように、仕事に頑張る人を応援したい。 「ここに来れば明日も頑張れる」ような場所でありたい。 私がツラかった時に支えてくれた小さな居場所のような居場所でありたい。   そんなサードプレイスを目指していきたいと思っています。



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